// Halley's Comet exploration satellite · ISAS · 1985-073A
すいせいは、76年ぶりに太陽へ戻ったハレー彗星を紫外線で追った日本の彗星探査機。水素コマの変化から彗星活動を読み、国際的な「ハレー艦隊」の一員になった。
さきがけの技術実証を受けて、ハレー彗星の紫外線観測を主目的に飛んだPLANETシリーズの探査機。
| 開発・運用 | ISAS 現 JAXA宇宙科学研究所 |
|---|---|
| 打上げ | 1985年8月19日 08:33 JST M-3SII-2、内之浦 |
| ハレー接近 | 1986年3月8日 太陽側から約151,000 km |
| 国際標識番号 | 1985-073A |
| 質量 | 140 kg |
|---|---|
| 寸法 | 直径1.4 m、高さ70 cmの円筒形 |
| 軌道 | 太陽周回軌道 周期 約282日 |
| 主観測 | 紫外線撮像、太陽風観測 |
すいせいは、彗星の核を近接撮像する探査機ではなく、ハレー彗星が放つ水素の広がりを紫外線で測る探査機だった。
彗星が太陽へ近づくと、氷や揮発成分が放出され、広いコマを作る。すいせいは紫外線撮像装置でハレー彗星を観測し、水放出率の変動や回転周期の推定に関わるデータを得た。見える写真ではなく、見えない波長で彗星活動を読むミッションだった。
1986年のハレー接近では、日本のすいせい・さきがけ、ESAのジオット、ソ連のベガ、米国のICEなどが観測に参加した。ISASは、この6機の探査機群がHalley Armadaと呼ばれたと説明している。単独の「一番乗り」ではなく、複数機で彗星を囲む観測だった。
すいせいの前に、さきがけがロケット性能、深宇宙通信、軌道決定を確かめていた。すいせいはその成果を受け、観測目的をより明確にした本番機として飛んだ。日本の惑星間探査は、実証と科学を短い間隔でつないだ。
ハレー観測後、すいせいは太陽風観測を継続した。1991年に軌道変更用ヒドラジンが尽き、1992年の地球スイングバイでミッションを完了したとISASは記録している。
すいせいは、名前の通り彗星を追った。ただし、その目は人間の目ではなく紫外線だった。
すいせいはハレー彗星の水素コマを紫外線で撮像し、水放出率の変化を測った。彗星の姿は写真だけではなく、物質がどれだけ放出されているかという時間変化としても現れる。
ハレー彗星は全世界の探査機を集めた。すいせいは日本単独の孤立した挑戦ではなく、欧州、ソ連、米国の探査機と合わせて彗星を多面的に測る国際観測の一部だった。
ジオットのような近接機とは違い、すいせいは約151,000 kmの距離から観測した。距離があるからこそ、広がったコマ全体や太陽風との関係を測る役割があった。
1991年に軌道変更用ヒドラジンが尽き、すいせいは大きな軌道変更ができなくなった。深宇宙機の寿命は機器だけでなく、どれだけ姿勢と軌道を保てるかにも左右される。
太陽周回軌道からハレー彗星に接近し、紫外線で活動を追った概念図。スケールは模式的。
ハレー彗星の水素コマを撮像し、回転周期や水放出率の変動を調べた。
彗星周辺と惑星間空間の太陽風環境を測定した。
直径80cm級の楕円アンテナで深宇宙からデータを返した。
すいせいは直径1.4m、高さ70cmの円筒形で、上部に80cm径の楕円高利得アンテナを備えた。さきがけと同系統の小型機ながら、紫外線撮像という明確な科学観測目的を持っていた。
小型深宇宙機としてスピン安定を採りつつ、彗星観測に必要な指向とデータ取得を成立させた。単純な安定方式でも、観測計画を合わせれば科学ミッションになる。
彗星接近は一度きりの時間窓である。すいせいの設計は、限られた観測機器で何を最も確実に測るかを絞ったものだった。
紫外線で見た水素コマと、ハレー艦隊の分担イメージ。